毛利家武将一覧



































毛利 元就 (もうり もとなり)
1497-1571 享年75歳。毛利家当主。

毛利 隆元 (もうり たかもと)
1523-1563 享年41歳。毛利家当主。

吉川 元春 (きっかわ もとはる)
1530-1586 享年57歳。毛利家一門。吉川家当主。

吉川 元長 (きっかわ もとなが)
1548-1587 享年40歳。毛利家一門。吉川家当主。

小早川 隆景 (こばやかわ たかかげ)
1533-1597 享年65歳。毛利家一門。小早川家当主。

小早川 秀包 (こばやかわ ひでかね)
1567-1601 享年35歳。毛利家一門。小早川家当主。

毛利 弘元 (もうり ひろもと)
1466-1506 享年41歳。毛利家当主。

毛利 興元 (もうり おきもと)
1492-1516 享年25歳。毛利家当主。

毛利 幸松丸 (もうり こうまつまる)
1515-1523 享年9歳。毛利家当主。

毛利 秀就 (もうり ひでなり)
1595-1651 享年57歳。毛利家当主。

毛利 秀元 (もうり ひでもと)
1579-1650 享年72歳。毛利家一門。

吉川 広家 (きっかわ ひろいえ)
1561-1625 享年65歳。毛利家一門。吉川家当主。

熊谷 信直 (くまがい のぶなお)
1507-1593 享年87歳。毛利家一門。熊谷家当主。

毛利 元清 (もうり もときよ)
1551-1597 享年47歳。毛利家一門。

毛利 元康 (もうり もとやす)
1560-1601 享年42歳。毛利家一門。

繁沢 元氏 (しげさわ もとうじ)
1556-1631 享年76歳。毛利家一門。

宍戸 隆家 (ししど たかいえ)
?-1592 毛利家一門。宍戸家当主。

清水 宗治 (しみず むねはる)
1537-1582 享年46歳。毛利家家臣。

村上 武吉 (むらかみ たけよし)
1533-1604 享年72歳。毛利家重臣。

桂 元澄 (かつら もとずみ)
?-1569 毛利家重臣。

福原 貞俊 (ふくはら さだとし)
?-? 毛利家筆頭家老。

児玉 就忠 (こだま なりただ)
?-1562 毛利家重臣。

志道 広良 (しじ ひろよし)
1467-1557 享年91歳。毛利家宿老。

口羽 通良 (くちば みちよし)
?-1582 毛利家重臣。

吉川 経家 (きっかわ つねいえ)
1547-1581 享年35歳。毛利家一門。吉川家一門。

井上 元兼 (いのうえ もとかね)
?-1550 毛利家重臣。

平賀 広相 (ひらが ひろすけ)
1528-1567 享年40歳。毛利家家臣。

乃美 宗勝 (のみ むねかつ)
1527-1592 享年66歳。小早川家家臣。

来島 通康 (きじま みちやす)
1519-1567 享年49歳。毛利家家臣。

国司 元相 (くにし もとすけ)
?-? 毛利家重臣。

赤川 元保 (あかがわ もとやす)
?-1567 毛利家重臣。

毛利 輝元 (もうり てるもと)
1553-1625 享年73歳。毛利家当主。

安国寺 恵瓊 (あんこくじ えけい)
?-1600 毛利家外交僧。

毛利家の始まりは、鎌倉幕府の要人である公文所(政所)別当・大江広元
の四男・季光であり、毛利荘を相続したことから毛利姓を名乗ったことに
ある。
季光は、1247年の三浦泰村の乱に参軍し、北条氏と戦ったが敗北し、その
一族は討滅された。
しかし、越後にいた季光の四男・経光の越後嶋末荘と安芸吉田荘が残され
、経光の子が、安芸吉田荘を相続した。
この安芸吉田荘を継いだ血筋が安芸毛利氏の始祖となった。

権謀術数を駆使して、中国地方に覇をとなえた、名将。
間者を駆使した策略で敵を壊滅させる。

父・元就の智勇の陰に隠れた存在ではあったが、
事務手腕においては、毛利家一の才覚を発揮した。

幼くして毛利家当主となる。祖父・元就から平凡な才覚
と嘆かれたが、毛利宗家を統率して、毛利家存続を成した。

毛利家一の武勇を誇る。生涯を通じて、出陣した合戦の
勝率は九割にも及び、毛利氏領地拡大の主力を成した。

父・元春の武名に恥じない勇将として活躍。
老齢となった父に代わり、毛利家主力隊を率いた。

父・元就の智勇を色濃く受け継いだ毛利家一の機転者。
秀吉も愛したその智勇を駆使して、毛利家の栄華を支えた。

智将・隆景の養子となり、小早川家後継者と期待された。
養父・隆景を助け、朝鮮にて活躍したが若くして没した。

大内・細川の両勢力に挟まれ、苦闘の日々を送る。
芸備地方の目まぐるしい闘争に日々、奮闘した。

大内・尼子氏の両勢力の脅威にさらされつつ、芸備の
諸問題に当たった。芸備の若きリーダーとして活躍す。

父・興元が若くして没したことから毛利家を継ぐ。
幼くして初陣を果たし、見事勝利を飾ったが夭逝す。

栄華を極めた毛利家が急落すると、その建て直しに
よく取り組んだ。

関ケ原にて毛利軍総帥を勤めたが、活躍の場を得ずに
帰還。落ち目と成った毛利家の建て直しに奔走した。

気骨な人柄が秀吉に寵愛された毛利家長老。
関ケ原合戦後の毛利家存続に奔走した。

安芸有力国人として君臨。元就のよき相談役として
活躍す。元就の謀略をよく助けた。

栄華を誇った毛利一門として列した。
元就の外交戦術により、穂田氏当主となった。

元就の外交戦術により、穂田氏の後継者となる。
子・秀元が毛利氏建て直しに活躍した。

父・元春に従軍し、山陰方面の治安に従事する。

元就の外交戦術により、毛利氏一門に列した。
『御一手衆』を率いて戦場を駆け巡った。

毛利氏の山陽方面の一角を担った。
秀吉率いる織田軍の攻撃にもよく耐え忍んだ。

毛利氏の外交僧として活躍。
秀吉との密接な外交で毛利氏の栄華を高めた。

戦国最強の村上水軍を率いた頭領。
毛利氏における瀬戸内海の制海権を独占した。

毛利氏重臣として活躍。元就によく信任され、厳島合戦で
は元就の策略達成に貢献した。

毛利家家臣団の筆頭を務め、組織運営に尽力。
山陽方面の毛利軍侵攻に際して、軍師として活躍す。

元就の有能な側近として活躍。毛利家一の文官として、
すぐれた事務処理を行い、巨大な毛利組織を支えた。

若き元就を支えつづけた、名軍師。
元就の智略のお手本を示し、元就の成長を見守った。

父・志道広良に劣らずの智勇を持ち、毛利氏の軍師
として活躍した。

武名高い吉川家一族として山陰方面の要所・鳥取城主
を勤め、織田軍侵攻に備えた。

毛利家臣団一の勢力を誇った井上氏の頭領。
元就との確執から組織改正に際して、斬られた。

落ち目と成った大内氏を見限り、毛利氏に属す。
毛利氏による大内攻めで先鋒を勤め、その武勇を振るった。

小早川水軍の指揮官として活躍。
厳島合戦では村上水軍を調略し、毛利軍の勝因を作った。

村上水軍とともに、毛利水軍の主力を勤め、その巧みな
海運術で瀬戸内海の主となる。

毛利家譜代の家臣として活躍。
毛利家の組織の幹部として、その統率力を発揮した。

忠義に厚い武将として毛利隆元の側近として活躍。
手抜かりの多さを元就から嫌われ、斬られた。