龍造寺家の栄華を支えた老将。
少弐氏の謀略にて滅亡寸前まで至った龍家の再興を見事、果たした。

龍造寺 家兼 (りゅうぞうじ いえかね)
1454-1546 享年93歳。龍造寺家一門。

龍造寺家の肥前平定戦で活躍した。
沖田畷の戦いに従軍し、島津軍の巧みな戦術の前に討死した。

広橋 信了 (ひろばし のぶあき)
1527?-1584 享年58?歳。龍造寺家家臣。

龍造寺家の重臣として代々、活躍した家柄の出。
沖田畷の戦いで大混乱となった龍造寺軍の只中にあって奮戦した。

納富 信景 (のうとみ のぶかげ)
1525?-1584 享年60?歳。龍造寺家重臣。

龍造寺家の重臣として活躍。
沖田畷の戦い後も衰退する龍造寺家を支え続けた。

太田 家豊 (おおた いえとよ)
1531?-1603? 享年73?歳。龍造寺家重臣。

江上氏の重臣として活躍。龍造寺家一門となった主家・江上氏を支え、
肥前平定戦など各地戦で活躍を見せた。

枝吉 種浄 (えだよし たねきよ)
1530?-1593? 享年64?歳。龍造寺家重臣。

龍造寺家に忠義を尽くした外様家臣。
今山合戦の危機でも龍家を見限らず、忠義を尽くして大敵に拮抗した。

伊東 祐俊 (いとう すけとし)
1527?-1581? 享年55?歳。龍造寺家家臣。

武芸にひいで、龍家没落後も若き名将として諸将をうならせた。
朝鮮の役にて不運にも戦死し、その後の歴史に名を刻むことがなかった。

江上 家種 (えがみ いえたね)
1567?-1593 享年27?歳。龍造寺家一門。

少弐氏滅亡後、龍家に臣従し、その雄才は大いに龍家栄華に貢献した。
後に龍造寺家一門に列し、有力家臣として君臨した。

江上 武種 (えがみ たけたね)
1513?-1579? 享年67?歳。龍造寺家重臣。

江副三代にわたって、龍家栄華に貢献。龍家の肥前統一戦に活躍し、
肥前国人衆との熾烈な戦いに明け暮れた。

江副 信英 (えぞえ のぶひで)
1501?-1556 享年56?歳。龍造寺家重臣。

隆信の実弟として恥じない智勇を現し、筑前・筑後への侵攻戦で活躍した。
豊前北部まで占領し、龍家の五州二島支配を実現した。

龍造寺 信周 (りゅうぞうじ のぶちか)
1532?-1610? 享年79歳。龍造寺家一門。

無双の武勇を誇り、阻む敵をことごとく斬った。沖田畷では、敵総大将・
島津家久の首を狙い、敵陣を駆け巡り、島津諸将を震え上がらせた。

江里口 信常 (えりぐち のぶつね)
1543?-1584 享年42?歳。龍造寺家重臣。

龍家の領土拡大を成すとこれに帰順し、その後の侵攻戦で活躍。
宇礼志野一族を率いて、龍造寺軍の一翼を担った。

宇礼志野 直通 (うれしの なおみち)
1535?-1608? 享年74?歳。龍造寺家家臣。

龍家一門として家中の中核を成す。
沖田畷の合戦にて、混乱する兵卒の統制にあたり、華々しく戦場に散った。

倉町 信俊 (くらまち のぶとし)
1545?-1584 享年40?歳。龍造寺家一門。

今山合戦にて、敵総大将・大友親貞を討ち取る大功を立てた。
龍家の軍奉行を務め、主君・隆信譲りの軍略を現す。

成松 信勝 (なりまつ のぶかつ)
1538?-1584 享年47?歳。龍造寺家重臣。

剛直にして猪突猛進する猛将。鍋島麾下として赤熊軍兵を率いた。
島津軍の猛追撃を防ぎ、主君・直茂の戦場離脱を成した。

木下 昌直 (きのした まさなお)
1536?-1584 享年49?歳。龍造寺家重臣。

百武と並び称される武勇の将。龍家の速攻戦術の先駆けを成す。
島津軍の巧みな戦術の前に自慢の速攻戦術もはぐらかされ、的撃ちにされた。

円城寺 信胤 (えんじょうじ のぶたね)
1525?-1584 享年60?歳。龍造寺家重臣。

”百人の武勇にも勝る”百武の姓を受け、並み居るつわものどもを両断す。
龍家の五州二島制覇に貢献するも、島津軍略の前に自慢の武勇も空回りする。

百武 賢兼 (ひゃくたけ ともかね)
1520?-1584 享年65?歳。龍造寺家重臣。

豊臣秀吉から九州一の武将として賞賛された名将。
主君・隆信と義兄弟の契りを交わし、龍家の繁栄存亡に貢献した。

鍋島 直茂 (なべしま なおしげ)
1538-1618 享年81歳。龍造寺家重臣。

当初は龍造寺隆信に反目して、肥前の国人衆と結託し、内紛を起こした。
が、隆信の智勇の前に屈し、後に帰順して龍家の侵攻戦に活躍す。

龍造寺 鑑兼 (りゅうぞうじ あきかね)
1539?-1599? 享年61?歳 龍造寺家一門。

一族の名将、龍造寺家兼譲りの軍才を現し、龍家の恨みを晴らすべく、
名門少弐氏の討滅に燃える。執念の打倒心で逃げ惑う少弐氏を滅した。

龍造寺 家就 (りゅうぞうじ いえなり)
1519?-1597? 享年79?歳。龍造寺家一門。

個々に決起する肥前国人衆に対し、快刀乱麻を断つかのごとく統帥し、
龍家による日本一の穀倉地帯独占を可能にした。

龍造寺 長信 (りゅうぞうじ ながのぶ)
1537?-1603 享年67?歳。龍造寺家一門。

父・隆信没後、激動する政局に応対できず。重臣・鍋島直茂の権勢に頼り、
結果として龍家を鍋島家に譲り、龍家を失墜させた。

龍造寺 政家 (りゅうぞうじ まさいえ)
1566-1607 享年42歳。龍造寺家当主。大名。

滅亡寸前までいった龍造寺家を、再び隆興させた智勇の将。”肥前の熊”と
して諸将から恐れられた。九州のうち、五州二島を制覇した。

龍造寺 隆信 (りゅうぞうじ たかのぶ)
1529-1584 享年56歳。龍造寺家当主。大名。


























龍造寺家は、1186年に藤原季家が肥前国佐賀郡龍造寺地頭職を得て
、同地に赴任し、土着したことに始まる。
その後、龍造寺宗家の村中龍造寺家と分家の水ヶ江龍造寺家に分か
れ、次第に分家の水ヶ江龍造寺家が宗家を凌ぐ勢力となる。
北九州の守護・少弐氏の配下であった龍造寺家の勢力は家臣団内でも
抜きん出ており、龍造寺家兼が龍家を取り仕切るとその栄華を迎えた。
その後、龍家討滅を計った少弐氏を逆襲し、葬ると勢力を張り、九州三
国鼎立時代を実現した。


龍造寺家武将一覧