龍造寺 鑑兼
りゅうぞうじ あきかね
1539?-1599?
享年61?歳


名称:孫九郎、左衛門佐


■龍造寺家門の嫡男。
  龍造寺宗家である村中龍造寺家十八
  代目当主・龍造寺胤栄の没後、水ヶ江
  龍造寺家当主であった龍造寺隆信が
  村中龍造寺家をも継いだ。

  この処置に不満を持った鑑兼は、胤栄
  の重臣・土橋栄益に奉じられて隆信に
  対し反旗をひるがえした。

  鑑兼方の優勢に事は進み、隆信を筑
  後へ追放することに成功。
  一時、佐嘉城に入り、村中龍造寺家を
  継承しようとしたが、再起した隆信に攻
  められ、鑑兼は敗退。
  隆信に捕らえられが、一族であり、隆
  信の実妹を妻とすることから助命され、
  追放処分となった。

  後に隆信の度量の広さに感服し、
  帰属。
  水ヶ江龍造寺家を引き継いで、龍造寺
  氏栄華の軍略に携わってゆく。