長宗我部家武将一覧
長宗我部家の出自は不明に近く、本姓は秦氏とも蘇我氏の部民とも伝えられる。平安時代末に能俊が土佐に土着し、1180年、香美郡司に従い、源希義の挙兵に参軍。平氏との戦いで立てた軍功により、源頼朝から香美、長岡の二郡を拝領し地頭職に就いたとされる。
南北朝時代では当初、信能は国司に従ったが、後に足利氏に属し北朝方とな
り、土佐守護細川氏に属して戦った。応仁の乱にて細川氏が上洛すると土佐
で勢力を固め、土佐七族の雄に成長する。1478年、文兼は一条教房父子を
土佐中村から迎えてこれを国司とし、それを背景にして勢力を拡大させた。
1508年、兼序が周辺の諸豪族の反乱にあい、自刃すると一時勢力が衰退する。その後、一条房家の庇護を得た国親が勢力を盛り返し、土佐制覇の軍略
を展開にする至る。元親の代に念願の土佐一国を制覇すると余勢をかって、
四国全土を制覇する大業を成した。
四国統一の覇業を成し遂げた四国の英雄。
深謀における軍略の才は、戦国屈指の力量を持つ。
四国の鳳雛にして長宗我部家期待の貴公子。四国不
出の勇将として屈強な島津兵をなぎ倒しつつ奮戦死す。
四国の英雄・元親の跡目を継いだ若武者。関ヶ原合戦
で没落するも、大坂の役にて武勇を天下に示す。
土佐一国制覇を目指し、土豪衆と泥沼の戦略応酬に
明け暮れる。”土佐の熊”として諸侯に恐れられた。
兄・元親を助け、四国制覇の偉業に貢献。
長宗我部軍の副司令官として武勇を振るった。
元親の土佐一国制覇に大いに貢献す。
元親軍略の重要な駒として土佐の地を縦横した。
四国一の武勇を誇り、元親の四国制覇達成に貢献。
剛直の士にして、諫言奉行として元親の素行を厳しく律した。
長宗我部家家臣団屈指の智勇を誇る。
元親の四国制覇のため、快進撃を続けた。
元親が家臣団の中で、最も頼りとした忠臣。伊予攻略の司令官
として活躍するも、隠れた名将・土居清良の奇略の前に倒れた。
兄・親信以上の有能さを発揮し、元親の四国制覇の主軸として
活躍。兄が危惧した無謀さで長宗我部家没落の要因を作る。