↑関ヶ原合戦軍勢配置図B
関ヶ原合戦−軍勢配置図B
小早川秀秋の去就が東西両陣営で注目される中、徳川家康は、
東軍へ寝返る内応工作が未だ効を奏さずにいることにいらだっ
ていた。
秀秋の裏切りは、黒田長政を通して行われていた。黒田家の重
臣と小早川家の重臣が縁戚関係にあったため、その誼を通じて
小早川家側から東軍への寝返りの申し出が成されていた。
黒田長政は忠義心厚い人物で知られ、誠実さでは戦国武将の中
でも屈指のものを誇る。
それだけに家康は長政を信用していたが、この時ばかりは長政
が謀ったのではと嫌疑心を抱き、長政の下へ使者を出している。

”秀秋の裏切りの件、相違ないか”という内容であったが、”秀秋
が裏切るかどうか、今さらそれがしの知ったことか”と突っ返され
てしまった。長政の返答にますます疑念が深まった家康は、その
念を晴らすべく、大博打に出た。空鉄砲を松尾山に布陣する小早
川隊目掛けてぶっ放したのである。

このパンチの効いた催促にようやく意を決した小早川秀秋は、全
軍に下山を命じた。”目指すは大谷刑部の陣なるぞ!”秀秋の黄
色い声が松尾山中に高らかに響き、小早川隊は、全軍下山する
やいなや大谷吉継隊の後方背面に突撃していった。
小早川隊の裏切りが明瞭になった瞬間である。
■午前0〜2時ごろ■
石田 三成  4000
黒田 長政  5400
細川 忠興  5000
加藤 嘉明  3000
筒井 定次  2850
田中 吉政  3000
生駒 一正  1830
小早川隊が東軍へ裏切ったことを知り、三成の心境は狂気と化した
ことだろう。大谷隊、小西隊、宇喜多隊と歴友の志士たちが率いる
軍勢が次々と大敗に喫する中、石田隊はいまだに頑強に固守し続
けていた。最後まで勇猛果敢に死闘を演じたが、挽回する余地は
どこにも見えず、ついに再起を望みの綱として伊吹山方面へと敗走
した。午後2時ごろのことであった。



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東軍の猛攻をしのいできた宇喜多隊ではあったが、小早川隊の
裏切りにより、にわかに部隊が浮き足立つ。
次いで、大谷隊の壊滅、小西隊の崩壊という知らせが続くと、もは
や西軍の敗北を悟った宇喜多秀家は、敗因となった小早川秀秋
の裏切りを激昂し、秀秋と刺し違えんと欲し、単身戦場へと踊りだ
そうとした。が、秀家の家臣・明石全登がこれを必死に諌め、再起
を促した。
秀家はこれを受け入れ、小西行長の跡を追うように伊吹山中へ
と逃れた。
福島 正則  6000
金森 長近  1140
宇喜多 秀家  17000
■午前0〜2時ごろ■

松尾山に布陣する西軍右翼の主力・小早川秀秋隊がにわかに軍勢
を動かし、下山したと思ったら、西軍援軍ではなく、東軍への寝返り
行動を起こした。大谷陣営の後方背後より突っ込んできたのである。
これに対して、大谷吉継は、秀秋の裏切りを予期しており、すぐさま
応戦する態勢を整え、手勢600の精鋭部隊を駆使した。
大谷軍の屈強な部隊による迎撃に遭遇した小早川隊は、たちまち500
mほども後退を余儀なくされた。

大谷隊の支隊である戸田重政、平塚為広の部隊も必死の応戦を見せ
、疲労困ぱいしながら決死の奮戦劇を行った。
だが、この奮戦もむなしく大谷吉継も予見できなかった第二の裏切りが
起こった。
松尾山のふもとに布陣する西軍右翼の赤座直保、小川祐忠、朽木元
網、脇坂安治の諸隊が小早川隊の裏切りに乗じて、東軍へ寝返った
のだ。
赤座隊らが大谷吉勝、木下頼継の部隊に突っ込んできた時点で、吉継
の率いる大谷精鋭部隊も東軍の攻撃を支えきれなくなる。

西軍が東軍へと次々と寝返ったことを知った東軍諸隊はにわかに活気
付く。東軍の藤堂高虎、京極高知の部隊も大谷隊への攻撃を再開。
大谷隊は左からは藤堂、京極の部隊、右からは赤座ら西軍の裏切り
部隊が押し寄せ、後方からは小早川隊らが攻め込み、三方向からの
攻撃にあい、さすがの大谷精鋭部隊も壊滅。
戸田重政、平塚為広ら奮戦の諸将も討死し、大谷吉継も乱戦の中で
自刃して果てた。
藤堂 高虎  2490
京極 高知  3000
小早川 秀秋 15600
赤座 直保  600
小川 祐忠  2000
朽木 元網  600
脇坂 安治  1000
大谷 吉継  600
戸田 重政
平塚 為広  900
大谷 吉勝
木下 頼継  3500
■午前0〜2時ごろ■
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小早川隊の裏切りがあり、大谷隊、小西隊、宇喜多隊と次々と崩壊
していく中、島津隊は未だ戦闘せずに陣営を堅守するだけで一向に
動こうとしない。いかにしてこの窮地を脱すべきか苦慮していた。
井伊 直政  3600
松平 忠吉  3000
島津 義弘  750
島津 豊久  750
■午前0〜2時ごろ■
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小早川隊の裏切りを知り、動揺する小西隊の兵士を叱咤激励して
いた小西行長であったが、あの精鋭部隊を誇る大谷隊が小早川隊
ら三方向からの集中攻撃を浴び、撃沈すると小西隊の士気は失墜。
怖気づいた小西隊の兵士らは、次々と逃亡。
大谷隊を沈めた小早川隊が今度は小西隊に突っ込んでくると小西
隊はあっさりと崩壊し、これを見た小西行長は、伊吹山中へと落ち
延びていった。
織田 有楽  450
古田 重勝  1200
寺沢 広高  2400
小西 行長  4000
■午前0〜2時ごろ■