鬼庭 綱元
おににわ つなもと
1549-1640
享年92歳。


名称:茂庭綱元(もにわつなもと)、
    左衛門、延元、石見、了庵
居城:陸奥百目木城


■伊達家の宿老・鬼庭良直の子。
  1586年、綱元38歳の時、政宗より伊達
  家奉行職に任じられ、政務一般に従事
  した。

■1588年、岩城氏、相馬氏の両勢力に対
  抗すべく、防衛の拠点となる百目木城
  の城将となり、政宗軍略の重要な駒と
  して活躍。

■また、綱元はすぐれた外交官として活躍
  し、政宗への嫌疑が起こると秀吉の元
  へ遣わされ、政宗の嫌疑を晴らす重要
  な役目を果たしている。

■1590年、綱元は岡崎・葛西の一揆鎮圧
  戦において抜群の活躍を見せている。

■その後、主君・政宗の庶子・伊達秀宗が
  伊予宇和島に移封されると、綱元は実
  子の良元とともにこれに従い、宇和島
  藩伊達家の基盤作りに貢献した。

■1640年、宇和島藩伊達家の磐石を見届
  けた綱元は同地に没した。
  享年92歳。