色部 勝長
いろべ かつなが
?-1568


名称:弥三郎、修理進
居城:越後平林城


■越後国人・色部遠江守憲長の子。
  場北衆の一人として謙信の父・長尾
  為景の代から長尾家に仕え、しばしば
  揚北衆を率いる本庄繁長よりも上位の
  席次を与えられた。

■1535年、上条再乱では上条方につい
  たが乱後、再び長尾為景に属した。

■武田氏が北信濃葛山城を攻撃した際、
  謙信から丁重な書面をもって出陣要請
  を受けるなど上杉家の中でも一目おか
  れた存在だった。

■1561年、川中島の戦いでは、危機に陥
  った柿崎景家の軍を救援に向かい、武
  田方の飯富虎昌らの軍と戦いこれを敗
  走させて、形勢を逆転させる軍功を立
  てた。
  川中島の戦い後、謙信より「血染めの
  感状」を賜り、軍功を賞賛されている。

■1564年2月、勝長は謙信の関東攻めに
  従軍し、佐野昌綱の拠る上野佐野城を
  攻略する軍功を立てた。
  この軍功の恩賞として勝長は、佐野城
  を預けられた。

■1568年、勝長は謙信に背いた同族の本
  庄繁長を討伐中に死去した。