直江 実綱
なおえ さねつな
?-1577


名称:神五郎、景綱、与兵衛尉、大和守
居城:越後与板城


■直江入道酒椿の子。
  謙信の父・長尾為景の時代から仕
  える。為景没後、謙信の才覚に惚
  れ込み、謙信擁立に尽力した。

■実綱は、謙信の側近として、大熊朝秀
  、本庄実仍とともに若き謙信を支えて
  きた。
  家臣の所領安堵の事務処理や謙信
  の上洛手配など内政外交の両面で
  手腕を発揮した。
  前関白・近衛前嗣が越後来訪の折に
  は、接待役を勤めた。

■1560年、実綱は春日山城検見役とし
  て留守居を統括している。

■1562年、謙信の信頼厚き補佐官とし
  て、景虎の一字をもらい実綱から景
  綱と改名している。

■「上杉氏軍役帳」によると1575年頃の
  実綱の軍役負担は305人とあり、上杉
  家中でも大身の部類に属し、上杉家臣
  団筆頭の地位にあった。

■1576年、実綱は謙信の能登遠征に従
  軍し、石動城(いしるぎ)を守るなど老
  齢の身でありながら、バリバリの現役
  武将として活躍した。

■1577年、老僕ながらまったく事務能力
  の衰えを見せる事無く働いていたかく
  しゃくたる実綱であったが老齢の体に
  無理がたたったのか病没した。
  70余歳であったという。

  実綱は、実子に恵まれず、長尾景貞
  の子・信綱を養子に迎えていたが、
  暗殺されている。