甘利 虎泰
あまり とらやす
?-1548


名称:備前守


■武田信虎、信玄の二代に仕えた
  武田家重臣。
  甘利家は武田家の祖・信義の
  次男・一条忠頼の子が巨摩郡
  を領地として、始まった甲斐の
  名族。代々、武田家の重臣とし
  て活躍した。

■虎泰は、板垣信方とともに武田
  家臣団の最高職を務めた。
  重臣中の重臣。主君・信虎の
  無計画な軍事作戦断行に不満
  を抱き、若き信玄を擁立して、
  信虎追放を実行した。
  信虎追放を画策した主格とい
  われる。

■信玄の信濃侵攻にあたっては、
  常に先鋒部隊として出陣し、
  数々の合戦で奮戦した。

■1848年、信濃上田原の戦いで
  は村上義清軍と激戦となる。
  義清は自領での合戦とあって
  、地の利を生かした布陣を布き
  、武田軍は不利な戦況となった。

  村上軍の猛反撃により、武田軍
  は700名以上の将兵を失う大敗
  を喫した。
  板垣信方とともに壮絶な戦死を
  遂げた。