小山田 信茂
おやまだ のぶしげ
1538-1582
享年45歳。


名称:藤丸、信有、左兵衛尉、
    左右衛門大夫
居城:甲斐大月殿山城


■甲斐は国中と郡内に二分され、
  その郡内の雄・小山田出羽守
  信有の長男として誕生したが
  信茂である。
  小山田家は鎌倉以来の甲斐の
  名族で、古くから甲斐武田家と
  姻戚関係にあった。
  武田信虎時代から臣従し、信茂
  の母は信虎の妹であり信玄とは
  従兄弟関係にある。

■川中島の戦いで才覚を表し活躍
  すると信玄の側近として武田一
  門に列した。
  信玄の参謀役である「弓矢の御
  談合人」七人衆の最年少メンバ
  ーとなる。
  信玄はもとより、猛将・山県昌景
  から厚い信頼を得ていた。

■信茂は知識に長け、信玄の書状
  の読み書きを担当した。
  「甲陽軍艦」にも「信玄は文のい
  ることには弥三郎を召して四書
  五経をいわせて聞きたまう」とあ
  るなど、文官書記として重宝がら
  れていた一面を持つ。

■武田勝頼の愚策を止められず、
  武田家衰退を改善させる奇才
  を持ち合わせていなかったこと
  は、不運であった。
  武田家滅亡直前にあって、勝頼
  に殿山城に迎えると偽り、戦線
  を離脱。
  戦国の習いとして当主と言えど
  も、愚者には裏切り、家を守る
  策に信茂も準じた。

■天目山にかつての主君・勝頼ら
  武田一門を追いつめた信茂は
  、次期武田家当主の予定だっ
  た若武者・武田信勝の奮戦を
  前に名族・武田家滅亡を惜し
  んだ。

■武田家滅亡後、信茂は甲斐善
  光寺に布陣していた武田攻め
  総大将・織田信忠に謁したが
  、主家を裏切った科により、堀
  尾吉晴の手で斬られた。
  享年45歳。