土井 利勝
どい としかつ
1573-1644
享年72歳。


名称:松千代、甚三郎、大炊頭、
    従四位下侍従
居城:下総小見川→下総佐倉城→
    下総古河城


■出自は定かではないが、水野信元
  の子と伝えられ、家康の計らいで、
  土井利昌の養子となったという。
  一説に家康落胤説がある。

■1579年(天正7年)、家康の三男とし
  て誕生した徳川秀忠の小姓として
  配属される。

■1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで
  は利勝は秀忠が率いる軍勢に従軍
  した。
  東山道を西上したが、関ヶ原主戦
  場に遅参し、歴史的大決戦に合間
  見えることはできなかった。

■1602年(慶長7年)、利勝は下総国
  小見川にて1万石を拝領。

  1610年(慶長15年)、利勝は老中に
  任命され、下総国佐倉へ転封となり
  、3万2400石に加増された。

  1612年(慶長17年)、さらに加増さ
  れて4万5000石を領した。

■1615年(元和元年)、大坂夏の陣に
  て、利勝は戦功があり、6万5200石
  に加増された。

  1624年(元和9年)、さらに5000石
  を加増される。

  1625年(寛永2年)、さらなる加増を
  受け、14万2000石を領して、従四
  位下となる。

  1633年(寛永10年)、下総国佐倉
  から下総国古河へ移封となり、
  16万石を拝領した。

■1638年(寛永15年)、幕府大老に就
  任し、幕政最後の出頭人政治を布
  いた。

  1644年(天保元年)7月10日、利勝
  は、最後の最後まで政権失脚する
  ことなく大往生す。
  享年72歳。