豊臣 秀保
とよとみ ひでやす
1579-1594?
享年16?歳。


名称:辰千代、秀俊、侍従、中納言
居城:大和郡山城


■父は三好吉房。
  母は秀吉の姉・とも(瑞竜院日秀)。
  豊臣秀長の養子となる。
  豊臣秀次、秀勝の末弟。

■1591年(天正19年)、養父・豊臣秀長
  の死去により、その跡目を継ぎ、大和
  郡山城主となる。
  藤堂高虎が後見役を務め、紀伊・大
  和を領した。従四位下参議に任ぜら
  れる。

■1592年(文禄元年)、従三位権中納言
  に進み、大和中納言、郡山中納言と
  呼ばれた。
  文禄の役では、藤堂高虎とともに肥前
  名護屋城まで出陣した。
  1594年大和十津川で病死とも溺死と
  も伝えられる。