池田 輝政
いけだ てるまさ
1564-1613
享年50歳。


名称:古新、羽柴三左衛門、吉田侍従、
    姫路宰相
居城:摂津尼崎城→摂津池尻城→
    美濃大垣城→美濃岐阜城→
    三河吉田城→播磨姫路城


■織田家の重臣・池田恒興の二男。
  父・恒興、兄・元助とともに織田信長に
  仕え、近習として従う。

  各地を転戦し、すぐれた武勇を現す。
  特に荒木村重の謀叛につき、摂津花
  隈城攻めで、北諏訪ヶ峰に陣取り、弱
  冠16歳にして、抜群の軍功を立て、
  信長から感状を授けられた。
  荒木村重の乱を鎮静化すると摂津国
  を領した池田恒興とともに尼崎城に
  入った。

■信長没後、羽柴秀吉に属し、父が美濃
  大垣城主となると輝政は摂津池尻城
  に入った。
  父と兄が小牧・長久手の戦いで討死
  すると輝政はその遺領を受け継ぎ、
  美濃大垣城主となる。
  さらに1585年(天正13年)には美濃
  岐阜城に移る。
  同年3月、紀州雑賀攻め、同年8月、
  佐々成政征伐のため北陸へ遠征。
  その後、九州平定戦、小田原征伐、
  会津征伐と秀吉軍団の一翼を担う
  形で各地を転戦。
  1590年9月には、三河吉田15万200
  0石を拝領した。
  1594年(文禄3年)、秀吉の命により
  、徳川家康の息女・督姫と婚儀。
  朝鮮の役では三河吉田にあって、
  東国警備の任にあたった。
  その間にも、伏見城築城普請や大
  和中納言と称された豊臣秀保の居
  城・大和多内城の普請を勤めた。

■1600年、関ヶ原の戦いでは東軍に属
  し、同じく東軍に属した福島正則と戦
  功を争った。
  戦後、一連の戦功により、播磨姫路
  城52万石の大身を果たし、”姫路宰
  相”と呼ばれた。