羽柴 秀勝
はしば ひでかつ
1568-1585
享年18歳。


名称:於次、少将、権中納言
居城:丹波亀山城


■織田信長の四男。
  子がなかった羽柴秀吉の養子となる。
  1582年3月、実父・信長の命により、
  養父・秀吉に従い備前児島城攻めを行う。
  ついで、備中高松城水攻めに参軍し、本能寺
  の変の急報で秀吉が中国大返しを敢行する
  と秀勝はこれに従った。
  山崎合戦後、1582年10月、秀吉が喪主を務
  めて、大徳寺で盛大な信長の葬儀が行わ
  れた。
  その後、明智光秀の旧領・丹波を与えられ、
  亀山城主となる。

■1582年(天正10年)に従五位下丹波少将・正
  四位侍従となり、1585年(天正13年)には従
  三位左近衛権少将・正三位権中納言に叙さ
  れた。
  その間にも秀吉軍団の一員として各地を転
  戦し、賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いに
  も従軍した。
  秀吉の跡目候補にいて、着実な戦歴をこなし
  てきた秀勝ではあったが、1585年(天正13年
  )12月10日、丹波亀山城にて病没した。
  享年18歳。
  羽柴秀勝の遺領の丹波は、同じく秀吉の
  養子の豊臣秀勝が受け継いだ。