尼子 誠久
あまご まさひさ
1525?-1554
享年30?歳
名称:式部大輔
居城:新宮谷城

■尼子氏最強軍団・新宮党を率いる尼子国久の長男として生まれる。

 新宮党の若きリーダーとして活躍するも、1554年元旦、父・国久が尼子家当主・晴久の手練れによって討たれ、誠久自身も晴久が派兵した軍勢5000と戦うこととなった。

 新宮党の本拠・新宮谷城にて誠久は実弟・敬久ともに激しく応戦。晴久軍に900名以上の損害を出させる奮戦をしいたが、孤立無援の末、ついに力尽き、戦死した。
 この激戦で新宮党は191名の戦死者を出して組織は名実共に崩壊消滅した。