尼子 国久
あまご くにひさ
1500?-1554
享年55?歳
名称:孫四郎、刑部少輔、紀伊守
居城:新宮谷城

■名将・尼子経久の次男。尼子氏最強の戦闘集団・新宮党3000騎を率いる頭目となる。
 父・経久に従い、中国各地を転戦。尼子軍の先鋒として、数々の武功を上げる。尼子氏の勢力拡大の最大要因となる。

 しかし、毛利氏の本拠である郡山城攻めに失敗すると尼子氏当主で国久の甥である晴久と不和となり、家中争乱が巻き起こる。
 また、度重なる多大な戦果によって、おごった新宮党と尼子家の譜代家臣団との間で紛争が起きる。
 この家中争乱に目を付けた毛利元就は、謀略を用いて、国久の謀反をでっちあげる。尼子晴久はその謀略にひっかかり、尼子氏が頼みとする新宮党を国久もろとも討ち滅ぼしてしまう。

 1554年元旦、新年の祝賀のために月山富田城へ登城する途中だった国久を晴久の手練れが襲撃し、暗殺されてしまう。

 国久を討ち取った後、新宮党の本拠である新宮谷の館へも晴久の軍勢が送られ、新宮党は一族郎党を討ち果たされてしまう。