尼子 晴久
あまご はるひさ
1514-1560
享年47歳
名称:三郎四郎、民部少輔、従五位下、修理大夫
居城:出雲国月山富田城

■尼子家中興の名将・尼子経久の孫。
 尼子経久の嫡子・政久の子として生まれ、尼子家嫡流として育つ。父・政久が戦死した後、1537年に尼子家家督を相続。

 晴久は上洛を夢見て、戦略を展開。伯耆、因幡、美作、播磨を次々と征服し、安芸の毛利元就をも屈服させ、覇業まで一歩手前まで突き進んだ。
 しかし、安芸の毛利氏が大内氏に通じ、出鼻を挫かれると、晴久は大軍を擁して、毛利氏討伐を敢行した。だが、大内氏の援軍のために大敗。京都上洛の夢が絶たれた。

 その後、毛利元就の謀略にひっかかり、尼子家きっての猛者で伯父の尼子国久を討伐してしまう。国久率いる新宮党までも討ち果たし、尼子家の戦力は大きく削がれることとなった。