宇喜多 直家
うきた なおいえ
1529-1581
享年53歳。


名称:八郎、三郎右衛、涼雲星友、和泉守
居城:備前乙子城→美作庄山城→備前沼城→
    備前岡山城


■一時は栄華を誇った宇喜多家ではあったが、直家の父の代には、すでに没落しており、直家は宇喜多家の勃興に苦闘することとなる。

■浦上氏に仕え、その後は主家をも飲み込んでしまうほどの活躍を見せる。
  備前から領土拡張戦を展開し、美作、備中、播磨と次々と勢力を伸ばしていった。

■直家は謀略の限りを尽くして、領土拡張を続けていったが、宇喜多家中の結束は固く、家臣団も厚い忠誠心を見せた。

■また、直家は、人材抜擢に秀でた才能を見せ、家臣を適材適所に起用し、人使いの妙味を見せている。

  ”西の織田信長”とまで評される人事裁量は、戦国屈指のものを誇る。