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朝倉 景紀
あさくら かげとし
1510?-1573
享年64?歳。
名称:孫九郎、九郎左衛門、伊冊
居城:越前敦賀城
■朝倉宗滴の子。
■1527年、景紀は、父・宗滴と共に京都へ出陣した。
細川晴元が三好氏と対立し、将軍・足利義晴を擁護しつつ、近江坂本へと移った。晴元は京都へ再び入京するために、朝倉氏に加勢を求めた。
朝倉軍は義晴のお供をして上洛。
泉乗寺口にて三好軍と交戦となった。この合戦で朝倉軍は敵兵150首級を挙げて勝利をおさめた。
■1531年、景紀は、父・宗滴と共に加賀へ出陣。加賀の一向一揆を湊川にて打ち破っている。
■1561年、朝倉氏が領する越前の隣国・若狭にて、謀反が起きた。
若狭国守護・武田義統の家臣・粟屋勝久、逸見昌経らが主君に背き、兵乱を起こしたのである。
この時、朝倉氏は武田氏救援のため、景紀を派遣。
反乱軍の城七ヶ所を各個撃破し、北陸の平和回復に貢献した。
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