浅井家武将一覧

浅井家は、近江守護・京極氏の被官として、歴史舞台に登場するが、
応仁の乱後は、京極氏の家中争乱に乗じて巧みに勢力を伸ばし、
名将と賞賛される亮政の代についに京極氏の勢力を飛び越え、江北
の支配者となる。
亮政の武勇と巧みな外交手腕は、亮政の孫・長政にしっかりと受け継
がれ、戦国乱世の只中にあって、天下取りに名乗りを上げるほどの
勇躍を見る。
その後、姉川合戦によって、天下にその武勇を示した、浅井氏であった
が、次第に織田軍団の締め付けにあい、調略による裏切りが続出し、
頼みとする朝倉氏の甘い軍略のために援軍を望めず、孤立無援のま
ま、勇戦を繰り返して滅び去る。
浅井久政・長政の天下取りの野望ははかなく潰えたが、その後、長政の
遺子である三姉妹が続々と栄華を誇る武門に嫁ぎ、ついには徳川三代
将軍・徳川家光を持って、ついに血脈という形で天下取りを成し遂げた
のであった。













浅井 長政 (あざい ながまさ)
1545-1573 享年29歳。浅井家当主。大名。

名将として名高い祖父・亮政の武勇と妙手の外交手腕を受け継ぎ、大いに
浅井氏の勇名を天下に知らしめた。血脈をもって念願の天下取りを成就す。

浅井 久政 (あざい ひさまさ)
1522?-1573 享年52?歳。浅井家当主。大名

文弱にして老獪な算段を目論み、勇将・長政をもって天下取りを夢見た。
浅井氏の勇名を駆使して、織田包囲網の先鋒を務める。

主家筋の京極氏がほころび始めるとこれに乗じて、勢力を拡大。武勇と外交を
巧みに使い分けて、天下に名将と感嘆さしめた。

浅井 亮政 (あざい すけまさ)
1500?-1542 享年43?歳。浅井家当主。大名。

勇将の血脈を受け継ぐ浅井氏と覇王・信長の血脈を併せ持つ貴公子。
父・長政譲りの勇将となることを恐れた信長は、非情にも斬首を与う。

浅井 満福丸 (あざい まんぷくまる)
1570?-1573 享年4?歳。浅井家嫡子。

近江三人衆の一人に列す。
浅井氏へ忠誠随一を誇り、長政自刃後も奮戦し、生捕り後は潔く散った。

赤尾 清綱 (あかお きよつな)
1515?-1573 享年59?歳。浅井家重臣。

浅井長政が頼みとした近江屈指の豪族。その剛直をもって、浅井軍の主格
を成したが、織田方の巧みな戦術により、浅井家を離反。活躍の場なく衰退を見る。

磯野 員昌 (いその かずまさ)
1530?-1580? 享年51?歳。浅井家重臣。

武勇一徹にして、久政・長政に重用された。
浅井軍斬り込み隊長として、浅井軍の先陣を務める。

雨森 弥兵衛 (あまもり やひょうえ)
1517?-1573 享年57?歳。浅井家重臣。

近江三人衆の一人に列す。武勇だけでなく、巧みな采配も見せ、織田方の木下
秀吉から我が軍法の師とまでいわしめた。

海北 綱親 (かいほう つなちか)
1509?-1573 享年65?歳。浅井家重臣。

近江を郷里に持ち、浅井氏の要望に応えて、浅井軍の守将となる。
すぐれた軍略を見せ、浅井氏滅亡後は、木下秀吉の部将として活躍す。

宮部 継潤 (みやべ けいじゅん)
1528?-1599 享年72?歳。浅井家家臣。

浅井氏有力豪族の一つで、浅井家中で重臣に列した。
長年の従属関係を打破し、衰退する浅井氏を見限り、織田方に変じた。

阿閉 貞征 (あつじ さだゆき)
1520?-1582 享年63?歳。浅井家重臣。

予見鋭くして、早い時期から覇王・信長を危険視した。信長暗殺を計画する
も長政に受け入れられず、姉川合戦にて再度、信長暗殺を目論むも討ち果たせず。

遠藤 直経 (えんどう なおつね)
1530?-1570 享年41?歳。浅井家重臣。