斎藤 龍興
さいとう たつおき
1548-1573
享年26歳。
名称:喜太郎
居城:美濃国稲葉山城

■斎藤義龍の庶子。1561年に没した父・義龍に代り、斎藤家の家督を継ぐ。
 龍興は幼少の頃から暗愚との噂が立ち、龍興自身も家督を継ぐと美濃の有力国人である稲葉一鉄らを斥けて、斎藤飛騨守らを寵愛し、偏った政治を行った。

■美濃三人衆の一人、安藤守就の娘婿であった竹中半兵衛は、わずかな手勢で稲葉山城を襲撃。斎藤飛騨守らを討って、龍興を追放する挙に出た。
 その後、龍興を諫めて、城を返した竹中ではあったが、このことをきっかけに、龍興の無能振りが知れ渡り、斎藤家からの離反者が急速に出だすこととなった。

■やがて、織田方の調略によって、美濃三人衆をはじめ美濃の有力国人が斎藤家を離反し、織田方に寝返った。
 万を持して、信長は稲葉山城を攻めると、龍興は抵抗する間もなく、越前朝倉氏を頼って落ち延びていった。
 以後、龍興は朝倉家の庇護を受けていたが、その朝倉家までも信長に攻め滅ぼされると龍興も朝倉家と命運を共にした。