清水 康英
しみず やすひで
?-1591
名称:太郎左衛門尉、康実、上野介、上野守
居城:伊豆下田城
■清水康英は、後北条家の祖・北条早雲に
従い伊豆に入国した伊豆奥郡代・清水家
の三代目である。
後北条家開祖以来の譜代重臣の家柄と
して伊豆衆筆頭、伊豆郡代を勤めた。
伊豆加納などに800貫余を領有した。
また、北条家の重役会議に列し、評定衆
の一人として、重要な北条氏軍略の決定
に参画した。
北条氏康の偏諱をもらい、康実と名乗り、
後に康英と改名した。
■1588年、下田城主に就いた康英は、1590
年に小田原征伐を起こした豊臣軍に対抗
すべく、北条水軍を率いた。
しかし、全国から選りすぐりの水軍を率い
てきた豊臣水軍にはかなうはずもなく、
康英は下田城に徹底篭城を行った。
豊臣水軍は、長宗我部水軍、九鬼水軍、
脇坂水軍らで組織され、その軍勢1万4千
にて下田城を攻囲した。
50日間にも及ぶ攻城戦の末、康英は降伏。
下田城を開城した。
康英ら一党は河津郷沢田の林際寺に退去。
のち筏場の三養院に隠遁し、同地で没した。