海北 綱親
かいほう つなちか
1509?-1573
享年65?歳。


名称:善右衛門尉


■”海赤雨の三士”と賞賛された、浅井勇武三人衆の
  一人。
  姉川合戦を皮切りに浅井軍の武勇を天下に示し、
  織田軍を散々に苦しめた。

  特に綱親の武勇は勇猛さだけでなく、戦況を即座
  に判断し、巧みな兵団の采配を成し、敵軍を翻弄
  させる妙手を持っていた。

  この戦上手を前にして、綱親軍と戦った木下秀吉
  は、綱親をもって「わが軍法の師」と高評したという。

■1573年、綱親は浅井氏滅亡と運命を共にし、海北家
  は滅亡したが、綱親の三男・友松は東福寺に出家
  していたため、血脈は途絶えず。
  後にこの三男が還俗して、海北家の再興を目指す
  も願いかなわず、一転して画家として戦国の世を
  生き抜くこととなる。
  こうして、友松は桃山文化を代表する障壁画家と
  なり、栄華を迎え、その末裔は海北派として、
  歴史芸能の一翼を担った。