赤尾 清綱
あかお きよつな
1515-1573
享年59?歳。


名称:孫三郎、美作守
居城:近江赤尾城


■浅井亮政の代から浅井氏の重臣として活躍。
  浅井軍勇武の原動力となった武将である。

  赤尾・雨森・海北をもって、近江三人衆と称し、
  浅井軍勇武の中心と成した。

■伊香郡木之本町赤尾を領し、赤尾城を設けて
  土豪としての基盤を持つ。
  一方で、浅井氏の居城・小谷城の一画に赤尾
  曲輪(くるわ)を設置し、その在番も務めて、
  浅井氏屈指の忠臣として活躍した。

■1573年8月28日、天険を活かした難攻不落の
  山城・小谷城が陥落すると、長政は手勢を
  率いて、最後の勇戦を飾る。
  死闘の末に矢傷を負った長政は、赤尾屋敷
  に入り、自刃して果てた。

  主君・長政が篭る赤尾屋敷を堅守した清綱は
  並み押し寄せる織田軍相手に一歩も退かず
  奮戦。
  ついに力尽きて生け捕りにされるも、主君の
  自刃を知り、潔く死一等を所望した。
  信長は清綱の武勇を惜しんだが、清綱の意志
  は堅く、その意を汲んだ信長は有終の美を飾ら
  せるべく、自刃を認め、そのなきがらは、清綱
  の息子・赤尾新兵衛を呼び寄せ、引き取らせ
  ている。