遠藤 直経
えんどう なおつね
1530?-1570
享年41?歳。


名称:喜右衛門
居城:近江大依山砦


■浅井家屈指の剛勇の将として知られ、
  大依山砦の守備を務めた。
  また、浅井家中でも屈指の野心家で、
  織田信長の暗殺計画を策し、信長に
  代わって天下を取るべきことを公然と
  主張した。

■1568年、すでに長政と義兄弟の契りを
  交わし、政略結婚による堅い同盟が
  成っていたこの時期に、信長は足利
  義昭を奉じて京都へ上洛する計画を
  ぶち上げた。
  信長はそれら諸々の計画を謀るため
  に少数の供廻り衆を率いただけで、
  浅井氏所領の佐和山城へ赴いてくる
  と、直経は迷わずにこの好機をもって、
  信長を亡き者にしようと主君・長政に
  提言した。

  しかし、長政は義兄弟の縁を重んじ、
  また、相手をだまし討ちにする卑怯を
  嫌って、直経のこの進言を聞き入れ
  なかった。

  直経は信長の覇気がやがては浅井家
  に不運をもたらすと予感し、不運をもた
  らす前に早急に積み取ってしまおうと
  考えたのだった。
  この直経の予見は信長が畿内を瞬く間
  に制圧し、周囲に牙をむき始めると的中
  することとなる。
  直経の先見性は的確であったことを
  物語る。

■信長暗殺も金ケ崎での挟撃作戦でも
  好機を失した浅井氏ではあったが、
  直経自慢の武勇が振るえる一大決戦
  が展開されたことで、まだまだ浅井氏の
  天下取りの天運は尽きていなかった。

  1570年、姉川合戦が展開され、浅井・
  朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が
  雌雄を決する激突を成す。
  激しい混戦となり、浅井軍は勇猛果敢
  に織田陣営を突撃を繰り返した。

  直経は混戦極まりない戦況となった
  ことを見て、一計を案じる。
  浅井方の戦死した者の首をやわら手に
  つかむと、早馬にまたがり颯爽と織田
  本陣へと下る。
  織田方の守備兵たちは、織田方の武将
  が敵兵の首を持参してきたと思い込み、
  道を明けて、直経を通してしまう。

  信長本陣に迫った直経は一挙に名刀を
  ずらり抜きすると信長めがけて猛突進
  する。
  この尋常成らざる異様な帰陣武者に異変
  を察した本陣守兵の竹中久作が直経の
  進路をふさぐ。
  突き進んでくる直経の顔を見て、久作は
  敵の来襲と見破り、奇声を上げる。

  この異常事態を察した守兵が続々と
  踊りだしてくると、直経を二重三重と
  取り囲み斬り込む。
  剛勇無双とその豪腕を鳴らした直経も
  さすがに多勢にはかなわず、討ち果てて
  しまう。

  直経討死!の報が浅井陣営に流れると
  浅井軍は一挙に気勢を上げ、直経の勇死
  に続けとばかりに猛突撃していった。
  いかに直経の武勇を多くの将兵が慕って
  いたかがわかる。