大友 義統
おおとも よしむね
1558-1610
享年53歳。
名称:長寿丸、吉統、宗厳
居城:豊後大友館城→豊前竜王城
■大友宗麟の長男。
1576年、父・宗麟より大友家の家督を
譲られる。
大友氏が最盛期を迎えた時期に家督を
継いだことで義統は、九州制覇へと政策
を重視した。
父・宗麟が臼杵に隠居したものの家臣に
対し、命令を依然として下していたため、
府内に居た義統との間で国政が二重に
だされた。
この二頭政治が大友家中に亀裂を出し、
家臣団の結束が乱れた。
1578年、耳川の戦いで大友氏が島津氏
に大敗を喫すると徐々に大友氏の勢力
は縮小していった。
■義統はその落ち目となってゆく大友氏を
盛り返す力量を持ち合わせてはいなか
った。1585年、島津氏が大友氏の本拠
豊後国へと侵攻してくるとこれを迎え撃
った義統であったが一敗地にまみれ、
敗走した。
■豊臣秀吉による九州征討によって、大友
氏は滅亡を免れ、九州の一大名として
なんとか存命した。
しかし、朝鮮の役で朝鮮半島へと渡海
した義統は、戦わずして敗走した失態
を秀吉に責められ、減封処分となる。
かつて巨大な勢力を九州の地に誇った
大友氏も10万石にも満たない領土を
保有するだけとなり、完全に衰退して
しまう。
■1600年、関ヶ原の争乱が起こると義統は
西軍に付き、中立の立場を取る黒田孝高
の軍と戦い敗北した。
敗将となった義統は、1610年、かつて九
州の地に誇った栄華を思い出しながら失
意して没した。
享年53歳。