中野 宗時

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中野 宗時
なかの むねとき
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名称:常陸介

■伊達稙宗、晴宗、輝宗の伊達家三代に 仕えた宿老。

■1542年、稙宗の三男・伊達実元が越後 守護・上杉定実の養子となり、入嗣し ようとした際、桑折景長とともにこれに 反対。

伊達晴宗を説き、入嗣を阻止すべく 実力行使に出た。
この伊達家の家中騒動は伊達家を 稙宗、晴宗の二派に分断させた。 これを天文の乱という。

■この伊達家内乱の原因を作った宗時 は、晴宗方として活躍。晴宗に勝利を もたらした。

こうして伊達家当主となった晴宗は、 宗時を重用し、宗時は伊達家屈指の 宿老となった。

■1570年、宗時は伊達家の家督を継い だ輝宗と対立。宗時は輝宗に背いて 置賜郡小松城に拠るが輝宗との戦い に敗退し、相馬氏を頼って出奔した。

■のちに宗時は伊達家への帰参を願った が輝宗はこれを黙殺。

宗時は相馬氏を離れ、会津に向ったが 開運を見出せず、流浪の末、飢えと 寒さのために横死した。



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