鬼庭 良直

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鬼庭 良直
おににわ よしなお
1513-1585
享年73歳。

名称:茂庭良直(もにわよしなお)、周防、 左月斎

■鬼庭氏は、陸奥国信夫郡茂庭、出羽国 置賜郡永井庄を領した土豪で、良直は 、伊達稙宗、晴宗、輝宗、政宗の伊達 家四代に渡って仕えた宿老である。

■1577年、伊達晴宗の五男・彦九郎盛重 が宮城郡領主・国分能登守盛氏の後 嗣となるにあたり、良直は国分家中に 赴いて、事前にこれを画策。

■輝宗の代からその逸材を認められた良 直は、伊達家の評定役に列し活躍。 政宗の代に至ると家格を昇進されて、 伊達家一族に列した。

鬼庭氏の栄華を迎えた良直は、実子・ 綱元に家督を譲り、隠居。左月斎と号 した。

■1585年、政宗が安達郡の人取橋で佐 竹・蘆名連合軍との決戦を挑むにあた り、良直は老齢ながら伊達軍の総大将 を務め、勇敢に戦った。

しかし、合戦では大敗に喫し、撤退す る伊達軍の殿軍を務めた良直は、敵の 追撃隊と死闘を演じて壮絶な討死を遂 げた。
享年73歳。

この時、良直は老齢ゆえに甲冑の重さ は逆に奮闘する妨げになるとして甲冑 を装着せずに戦場に立った。

黄色の頭巾をかぶり老体に鞭打って、 最後の伊達家へのご奉公とばかりに 奮戦した良直の姿は伊達軍将兵にとっ て、臣下の鑑として後世まで礼讃さ れた。



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