遠藤 基信

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遠藤 基信
えんどう もとのぶ
1532-1585
享年54歳。

名称:六郎、文七郎、内匠、山城守、 医国景蘊

■役行者・金伝坊の子と伝えられる。 伊達家宿老・中野宗時にその俊才を見 出され、これに仕えた。

宗時の代理として輝宗の政治補佐にま わり、のちに輝宗より信任を得るように なる。

■中野宗時父子が主君・輝宗に背き、相 馬に出奔すると、宗時の家臣の多くは 宗時に従い相馬に向った。基信はそれ ら家臣たちを説得し、のちに伊達家に 帰参させる活躍を見せた。

■伊達家のすぐれた外交官として活躍し た基信は、輝宗の使者として織田信長 と謁見。

信長に黒毛の馬一頭を進上する役目 を果たしたのをはじめ、徳川家康、柴 田勝家、滝川一益、北条氏照らと謁見 して伊達家の外交戦術を担った。

■1585年、基信は嫡子・文七郎宗信に家 督を譲り、主君・輝宗とともに隠居生活 に入ったが二本松城の畠山義継が隠 居所の宮森城を訪れ、輝宗を刺殺する 事件が起こった。

基信は葬儀の日に殉死しようとしたが 政宗に制止され、百ヶ日忌の日に輝宗 墓前で殉死した。
享年54歳。



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