原田 宗時

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原田 宗時
はらだ むねとき
1565-1593
享年29歳。

名称:左馬助、山嶺虎駒

■伊達家重臣・原田大蔵宗政の実弟・ 山嶺源一郎の子。

原田氏の祖は、奥州伊達家初代目 当主・伊達朝宗に仕え、累世の宿老 となっており、代々、伊達家宿老の 家柄であった。

1582年、相馬合戦で原田家当主・ 原田宗政が討死すると嫡子がいなか ったため、宗時が家督を継いだ。

■1585年、会津の松本彈正を攻めた時、 会津浪人・平田太郎右衛門に会津方 の内応を頼んだが平田は会津に逃亡。

「米沢より来ている原田左馬助(宗時) は一人である」と告げたため、会津方 の士気は大いに上がり、宗時に猛攻を 仕掛けてきた。

会津方の頑強な戦い振りに宗時は、 大敗を喫して米沢に逃げ帰るという 失態を演じた。

■秀吉の朝鮮出兵の際、主君・政宗と ともに朝鮮半島へ渡海したが、朝鮮の 釜山において宗時は発病し、養生の ため、対馬まで戻るが、病状が悪化し 、対馬の地で客死した。
享年29歳。



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