留守 政景

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留守 政景
るす まさかげ
1549-1607
享年59歳。

名称:六郎、従五位下、上野介、雪斎

居城:陸奥高森城→陸奥一関城

■伊達家15代目当主・伊達晴宗の三男 として誕生。

伊達家16代目当主・伊達輝宗の実弟。
伊達家17代目当主・伊達政宗の叔父 にあたる。

■政景は、陸奥国留守職・伊沢家景を祖 とする名門・留守氏の娘婿となり、17代 目当主・留守顕宗の跡目を継いで、 1567年高森城主となった。

以後、伊達一門衆として伊達家の傘下 に入り、輝宗・政宗に仕え、伊達軍の 中核を成し、数々の合戦で活躍した。

■実兄・輝宗に従い、出羽の雄・最上氏と の戦いに参軍し、1574年、政景は屋代 新宿に在陣した。

■1588年、伊達家に内応した敵方、大崎 氏の家臣・氏家吉継を援護すべく、政 景は玉造郡大崎へ向かい、泉田安芸 と共に総大将を務め、総勢5000の兵を 率いて大崎氏と戦ったが大敗に喫 した。

政景も討死を覚悟したが、舅の黒川月 舟の援軍を得て、危機を脱している。

■1590年、主君・政宗が秀吉に帰参した 際、政景は遅参したため、政景の所領 は没収となり、以後、政宗の臣下として 活躍。

政宗より黒川郡大谷に2万石の所領を 拝領している。

■文禄の役では、政宗に従い朝鮮半島へ 渡海し、活躍した。この時、肥前名護屋 に滞陣中に伊達姓を与えられ、伊達一 門に列した。

■1600年、家康の会津遠征の際に政景 は、最上義光の援軍として出羽に 出陣。

上杉景勝の重臣で名将として名高い 直江兼続と互角の戦いを見せた。

この戦いで少なからず戦功を挙げた政 景は、関ヶ原合戦後、徳川家康から抜 群の働きとして賞賛されている。

■1604年には、磐井郡一ノ関城へ移封と なり、2万石の大名格となり、伊達家繁 栄に貢献した。

1607年、伊達家の繁栄を見届け、 没した。
享年59歳。



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