成田 氏長

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成田 氏長
なりた うじなが
?-1595

名称:下総守

居城:武蔵忍城→下野鳥山城

■武蔵忍城主・成田長泰の嫡子。
天文年間に父・長泰が関東一円に 勢力を拡大してきた北条氏康に 帰属した。

■1566年、父・長泰が寵愛する二男の 泰喬に家督を継がせようとしたが、 嫡子である氏長はそれを阻止。

父・長泰の意向を押しのけて成田 家の家督を奪取した。

■この家督争いが成田家に起こって いたころ越後の上杉謙信が関東の 地に進出してきたため、一時、成田 家は上杉氏に帰属した。

1569年に北条氏と上杉氏との間に 越相同盟が締結され、成田家は、 北条氏に再び帰属した。

■その後、関東一円に勢力を年々拡大 させていった北条氏に従い、成田家 も栄華を見たが、1590年、小田原 征伐を敢行する豊臣軍の前に氏長 は忍城に篭城。

石田三成の水攻めを受けたが三成 の戦術が甘かったため、中途半端な 水攻めとなり、氏長はかろうじて篭城 を続けた。

しかし、北条氏が遂に豊臣家に降伏 し、小田原城が開城されるとその6日 後に北条氏直の降伏勧告に従い、 氏長もようやく篭城を解除した。

氏長は、蒲生氏郷に預けられたが、 黄金900枚などの貢物を秀吉に送り、 氏長の娘・甲斐殿が秀吉の側室に なったことで、罪を許された上、秀吉 から下野鳥山城3万7千石を拝領し 関東の小大名として氏長は返り咲い たのである。



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