武田 信虎

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田 信虎
たけだ のぶとら
1494-1574
享年81

■甲斐国守護十七代目・武田信縄 の嫡男として誕生。

■1507年2月4日、父・信縄が没し、 14歳で家督を継ぎ、甲斐国守護 十八代目となる。

■信虎が家督を継ぐとそれに不満を 持つ叔父・油川信恵は、郡内の 郷士・小山田家らを引き込み、信 虎に反旗をひるがえした。

■1508年10月4日、信虎はしぶとい 反逆者たちを豪雨に乗じて油川 家の本拠勝山城を奇襲し、油川 一族を掃討する。

信虎の初陣ともなったこの戦い は、信虎の大勝利に終り、遠く京 都の将軍にまでその武勇が達し たほどだった。
これを境に甲斐の豪族は信虎に 臣従する者が多く出た。

■甲斐統一を目指す信虎の前に立 ちはだかった甲斐の豪族は、郡 内の小山田氏と西郡の大井氏 であった。

まず、信虎は小山田氏を幾度とな く攻め、小山田氏を苦境に追い込 めると攻め滅ぼさずに和睦し、武 田氏に従属させた。

ついで大井氏と戦い、これも制す と大井信達の娘を娶り、政略結婚 を成立させた。

こうして、甲斐の有力豪族と親族 になることで基盤を強化した信虎 は、ついに甲斐一国を統一した。

■1519年、甲斐統一を果たした信虎 は戦略上有利な地点に本拠を移 し、躑躅ヶ崎館を築いた。

■戦好きの信虎は、休む暇なく信濃 攻略へと突き進んだ。

度重なる合戦への出兵で不満を 募らせた甲斐豪族たちは信虎の 嫡男・晴信を擁立し、駿河の今川 氏のもとへ追放する。

■信虎は、娘婿である駿河の今川 義元から厚遇を受けた。
その後、不仲となり信虎は上京 を果たす。将軍・足利義輝の相伴 衆となる。

■将軍・足利義輝が松永久秀、三好 三人衆らに謀殺されると信虎は、 仏門に入りそのまま信濃高遠ま で帰ってくる。

しかし、息子・信玄と争いになる のを嫌い甲斐には入らず、娘婿 の禰津神平のもとを頼った。

■1574年3月禰津館で没した。
享年81歳。



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