武田 信勝

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武田 信勝
たけだ のぶかつ
1567-1582
享年16歳。

名称:竹王丸、武王、太郎

居城:甲斐躑躅ヶ崎城→ 甲斐新府城

■武田勝頼の嫡男。
母は遠山氏の娘で織田信長 の養女。

■1567年、信勝が生まれてまも なく、武田家嫡子・武田義信が 当主・信玄との対立で幽閉され 、自刃するという騒動が起きる。

武田一門の中から生まれて間 もない信勝が武田家嫡子に指 名された。

信玄は信勝が16歳になったら 武田家家督を継がせることを 決意し、勝頼に後見を命じた。

■武田家期待の星ともてはやさ れた信勝も父にして後見役の 勝頼の無謀な政策で信玄が 築いた武田家の屋台骨をぐら つかせてしまう。

くしくも信勝が家督を継ぐ年齢 に達した1582年は、武田家の 滅亡の年となってしまった。

天目山での最後の戦いで信勝 は、武田家嫡子として立派に 奮戦し、敵側を驚かせた。

しかし、信勝の勇将ぶりも武田 家再起には遅すぎた。奮戦に 疲れ果てた信勝はその祖父・ 信玄譲りの才覚を存分に発揮 することなく自刃して果てた。
享年16歳。



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