馬場 信春

戻る

馬場 信春
ばば のぶはる
1513-1575
享年63歳。

名称:信房、信政、氏勝、信武、民部少輔、 美濃守、教来石民部景政

居城:信濃深志城→信濃牧野島城→ 三河古宮城→遠江諏訪原城

■甲斐教来石の出身で旧姓教来石を 称した。

■武田信虎、信玄、勝頼の三代に仕え た老臣。

■山県昌景、内藤昌豊、高坂昌信とと もに武田四名臣の一人に数えられ た名将。

■1531年、信春は18歳で初陣を果たす。

■1546年、信春が33歳の時、その武勇 を見込まれ、信虎の代からの老臣・ 馬場伊豆守虎貞の名跡を継ぎ、馬 場民部少輔と改名し、侍大将となる。

■後に”鬼美濃”で恐れられた原虎胤 の武名にあやかれと、美濃守を称 することを許された。

■信玄が今川氏真を駿河に攻めた 折、信玄が今川館から宝物を奪う ように命令を出すと信春は一騎が けし、今川館を焼き討ちし、宝物も ろとも焼き払った。

武田の田舎侍が貪欲な戦をする そしりを受けないために機転を働 かせたのであった。

■「甲陽軍艦」によると信春は甲斐流 築城の名手であり、その築城技術 は山本勘助から学んだとある。

■遠江諏訪原城の築城をはじめ、信 春は数多くの築城を手がけた。

■1573年3月、織田軍1万余が岩村 城に侵攻すると信春はわずか8 00の手勢でこれを迎撃し、巧み な戦術で織田の大軍を翻弄。

ついに撤退させることに成功す るという抜群の軍功を立てた。

■1575年、長篠合戦での軍議の席 では、終始撤退を主張し、戦況 が悪化すると、戸惑う主君・勝頼 を叱咤し、戦線離脱を助けた。

信春自身は、わずか30名ほどで 殿軍を勤め、壮烈な戦死を遂 げた。
享年63歳。



戻る