蜂須賀 家政

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蜂須賀 家政
はちすか いえまさ
1559-1638
享年80歳。

名称:彦右衛門、阿波守、蓬庵

居城:阿波徳島城

■蜂須賀小六正勝の子。
当初、織田信長に仕え、その後、立身 出世目覚しい秀吉に仕えた。

秀吉の中国攻略戦に従軍。その後、賤 ヶ岳の戦い、紀州雑賀攻め、四国平定 戦では阿波木津、一宮両城の攻略に 参軍。

九州平定戦では、日向高城攻略戦に 参軍。
小田原征伐では伊豆韮山城に篭る北 条氏規を福島正則とともに攻略などな ど歴戦を重ね、秀吉の股肱の臣として 活躍。

■歴戦を重ねる間に1584年、播磨佐用郡 に3000石を拝領。
1586年には、従五位下阿波守に任じら れ、父・正勝とともに阿波一国18万石 を統治した。

朝鮮の役では二度、渡海を果たし 活躍。
関ヶ原の戦いでは、西軍に属したが、 家政自身は病気と称して出陣せず、蜂 須賀軍は大坂久太郎橋、北国口を警 備するに留まる。

家政の子・至鎮は東軍に属したことで、 戦後は所領安堵を果たし、家政は家督 を至鎮に譲り、剃髪して隠居した。

1615年、大坂の役では東軍に属すが、 海上が荒れたため、大坂へ渡海できず 、直接合戦には参加できず。
1638年、享年80歳という大往生を 成す。



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