豊臣 秀勝

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豊臣 秀勝
とよとみ ひでかつ
1569?-1592
享年24?歳。

名称:小吉、少将、中納言

居城:丹波亀山城→越前敦賀城

■父は三好吉房。
母は豊臣秀吉の姉・とも(瑞竜院 日秀)。

子がなかった秀吉の養子となる。
兄の秀次も秀吉の養子となり、関白職 を勤める。

弟・秀保は秀吉の異母弟・秀長の養子 となり、大和中納言と呼ばれた。

■1585年(天正13年)、織田信長の四男 で同じく秀吉の養子となっていた羽柴 秀勝が病没すると、その遺領の丹波亀 山城を受け継ぐ。

1587年(天正15年)、秀吉の九州平定 戦に従軍。戦後、知行の不足を訴えた ため秀吉の怒りにふれ、所領を没収さ れる。

その後、間もなくして蜂屋頼隆の遺領・ 越前敦賀城を受け継ぐ。

■1590年(天正18年)、小田原征伐に従 軍した秀勝は、軍功を挙げ、戦後には 関東の地に移った徳川家康の旧領の うち、甲斐・信濃を与えられ、甲府に 移る。

1591年(天正19年)には、美濃の岐阜 に転封となる。
1592年(文禄元年)、朝鮮の役に従軍 した秀勝は、唐島にて病死した。



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