前波 吉継

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前波 吉継
まえば よしつぐ
1530?-1574
享年45?歳。

名称:九郎兵衛、桂田長俊、播磨守、 越前守護

居城:越前一乗谷

■朝倉家家臣・前波景定の子。

前波家は朝倉家重臣の地位を得てお り、吉継は、主君・朝倉義景の側近とし て諸事に勤めた。

■朝倉家重臣であった吉継だったが、 1571年に主君・義景の勘気をこうむり 、勘当状態となってしまう。

■苦境の立場に陥った吉継は、一族と共 に織田信長に寝返ってしまう。

この時、信長は過分なまでの恩賞を吉 継に与え、織田軍団にくわえている。

■朝倉家滅亡後、吉継は、名を桂田長俊 と改め、越前守護を命ぜられるという 栄達を極めた。

■しかし、この織田家からの厚遇に憤激し た富田長繁が一向一揆と手を結び、叛 乱を起こすと、長俊は一乗谷に篭り、 抗戦した。が、20日間の苦闘の末に 長俊は一族と共に滅亡した。


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