山崎 長徳

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山崎 長徳
やまざき ながのり
1552-1620
享年69歳。

名称:長鏡、小七郎、庄兵衛、長門守、閑斎

■朝倉義景に仕えた。
1573年に主家・朝倉氏が滅亡すると、 長徳は、織田家に仕えた。

■織田家の出世頭・明智光秀に仕えた長徳は、1582年、本能寺の変の際に二条城を攻撃。織田信忠を自刃に追い込んでいる。

■同年、山崎合戦でも奮戦するもむなしく敗退。
1583年に北陸を領する柴田勝家に仕え、勝家の家臣・佐久間安次の部将となった。

賤ヶ岳の戦いには、柴田軍として戦った長徳であったが、またしても主家が滅び去ってしまう。

■三度目の正直とばかりに、長徳は豊臣政権で出世目覚しい、前田利家・利長父子に仕えた。

今度は主家が滅びることなく、栄達を極めたため、長徳としてもようやく安住の主家を持った事になる。

■1600年、関ヶ原の戦いにおいて、長徳は、西軍に属した山口正弘父子を攻め、加賀国大聖寺城を攻撃している。

戦後、徳川家康より恩賞を得て、1万四千石を領した。

■1614年大坂の役が勃発すると、再び長徳は老骨に鞭打って出陣。

戦国最期の決戦をこの目で見届けた長徳は、その後、静かに隠遁した。


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