磯野 員昌

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磯野 員昌
いその かずまさ
1530?-1580?
享年51?歳。

名称:丹波守

居城:近江磯野城→近江佐和山城→ 近江新庄城

■磯野氏は北近江の有力豪族で、代々、 伊香郡高月町磯野を領し、磯野城を居 城としていた。

員昌の代の時、浅井氏の有力家臣とな り、1561年から佐和山城主となった。

浅井氏が磯野氏を佐和山城主とした意 図は、磯野氏が勇武に秀でた豪族と見 込んでのことであった。

この佐和山城は浅井氏の宿敵である 南近江の雄・六角氏の領土に接してお り、対六角勢の最前線・防衛要塞で あった。

そのため、浅井氏は武勇が知られる磯 野氏を佐和山城に配置して、六角氏の 抑えとしたのである。

■その後、姉川合戦にて、員昌は浅井軍 の有力部隊として活躍したが、結果は 敗北。

員昌は佐和山城に篭り、織田軍と戦っ たが、員昌の援軍要請に対して、長政 は員昌が信長に内通しているという虚 偽の噂を信じて援軍を送らなかった。

それどころか、人質として長政の元に あった員昌の母を磔に処してしまう。 これに憤慨した員昌は、1571年2月に 織田軍に降伏。

城を明け渡して、近江高島郡へ退去 した。

その後、員昌は近江勢として織田軍団 の一翼を担う地位を得て、近江高島郡 新庄城主となった。

しかし、それもつかの間で間もなくして 所領を没収され、員昌は行き場を失い 失意を抱えて、高野山へと出奔した。


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