浅井 亮政

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浅井 亮政
あざい すけまさ
1500?-1542
享年43?歳。

名称:新三郎、備前守

居城:近江小谷城

■浅井宗家の別家・浅井直種の子として 誕生。

後に浅井宗家の当主・浅井直政の娘 婿となり、その家督を継いだ。

■浅井氏は近江守護である京極氏の被 官であったが、1523年に主家の京極 氏が継嗣問題を誘発させると、亮政は その混乱に乗じて、勢力を拡大。

1534年ごろには、実質的な江北(ごう ほく)の地を手中にした。

その後、江南(ごうなん)の地を抑える 六角氏としばしば戦いながら、主家・京 極氏を出し抜き、着々と地保固めに入 った亮政は巧みな外交を駆使。

江北の北に位置する有力大名・朝倉氏 と友好関係を結び、北方からの脅威を なくすとついで、領内の一向宗の統制 を図り、本願寺氏との宥和政策を 敢行。

巧みな外交で周囲の脅威を取り払い、 武勇をもって、領土拡大に明け暮れ た。

こうした巧みな戦略は、畿内の諸将をう ならせ、亮政は近江の名将と賞賛され た。

しかし、領土拡大の野望を燃やす亮政 も、病には勝てず、野望途上にて無念 の病没を見る。

しかし、その亮政の武勇と巧みな外交 手腕は、亮政の孫である長政にしっか りと受け継がれ、一時は浅井家を天下 取りの候補にまでのし上げ、畿内を中 心とする一大天下取り争奪戦を繰り広 げたのである。


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