大内 輝弘

戻る

大内 輝弘
おおうち てるひろ
1520?-1569
享年50?歳

名称:氷上太郎、定葱

■大内政弘の孫。政弘の二男・高弘 の子。

大内義隆に周防から追放処分を受け、 豊後の大友氏を頼った。

大友氏の客将となった輝弘は、大友氏 の中国地方侵攻の際に従軍した。

毛利氏が中国を席巻すると、大友氏と の間で筑前の覇権をめぐり争乱と なる。

筑前で毛利軍と大友軍が死闘を繰り広 げている中、大友宗麟は、輝弘に2000 人余の傭兵を授け、毛利軍が留守にし ている、周防占拠の別働任務を与 える。

1567年に輝弘は周防国秋穂浦に 上陸。

毛利本隊が筑前へ出陣していたため、 手薄と成っていた周防防衛を一挙に突 き、輝弘は瞬く間に周防国山口を占領 した。

■裏をかかれた毛利元就は、筑前に展開 する毛利軍本隊を撤退。

追撃してくる大友軍を阻止するため、 門司海峡周辺に殿軍を布陣させ、毛利 氏本国・安芸から吉川元春率いる1万 の軍を山口に差し向けた。

輝弘は、大内残党をかき集め、1万の 大部隊を山口防衛に展開させたが、統 率が取れず、猛将・吉川元春の武勇の 前に戦わずして部隊は崩壊。

輝弘は逃げ場を失い、自刃して果 てた。


戻る