高橋 紹雲

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高橋 紹雲
たかはし じょううん
1547?-1586
享年40?歳

名称:孫七郎、鎮種

居城:豊前小倉城→ 筑前宝満城(支城岩屋城)

■大友家最盛期を築いた豊州三老の 一人、吉弘鑑理の二男として誕生。

高橋家を継ぎ、高橋紹雲と名乗る。
大内家の家督を継いだ宗麟の弟・大内 義長(大友晴英)に従い中国地方の周 防に入った紹雲であったが、大内・陶 氏が毛利氏に敗退し滅亡すると帰国し 、筑前の秋月氏を攻め、勝利。

その軍功により筑前国三笠郡を拝領 し、大友家中で一大勢力を張った。

大友家の名将・立花道雪と組んで、落 ち目となった大友氏の盛り立て役とな った。

■龍造寺、秋月、島津氏の大友領侵攻が 始まるとこれを防ぐべく紹雲は、奮戦 した。

しかし、島津軍が九州制覇に本腰を入 れ出すと防衛線を突破され、豊後領内 に島津軍5万がなだれ込んだ。

紹雲は手勢763名で岩屋城に篭り、大 軍を擁する島津軍を迎え撃った。

約二週間に及ぶ激戦の末、紹雲以下 全員が討死し、島津軍にも数千人規模 の死傷者を出した。

この戦いで破竹の勢いを続けてきた島 津軍の進撃は低迷することとなる。 この間に豊臣軍25万が九州征伐に駆 けつけ島津軍は敗退。
大友氏滅亡を免れたのである。


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